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9.特別講演
「破局と救済――再臨の風景」
小林孝𠮷
プロフィール
1953年、長野県生まれ。文芸評論家。明治学院大学文学部卒業。博士(学術、九州大学)。
NPO法人今井館教友会監事。NPO法人滝沢克己協会理事長。
『椎名麟三論 回心の瞬間』(菁柿堂、1992年)以後、戦後文学、キリスト教文学、記憶と文学をテーマに評論集を刊行する。
50代後半の人生の懐疑の森のなかで、安彦忠彦氏を通して内村鑑三と出会い、再臨信仰を知り、無教会信仰を望む。
三部作に、『内村鑑三――私は一基督者である』(御茶の水書房、2016年)、『内村鑑三の聖書講解』(教文館、2020年)、
『内村鑑三 再臨の風景』(九州大学出版会、2025年)がある。1 懐疑の森の中で――個人的な序曲 本日、私は無教会全国集会の特別講演でお話させていただきますこと、大変光栄に、また大いなる喜びでもあります。 私はこの講演を「破局と救済――再臨の風景」という題名にしました。このテーマは、戦争の新世紀に広がる分断とディストピアの風景のなかで、私自身のもっとも大きな関心事でもあります。 人は、人生のなかで存在と懐疑の深い森に分け入り、彷徨(さまよ)うときがあります。 西洋古典の高い峰の一つといわれる、14世紀初めのダンテ『神曲』「地獄篇」の第1歌は、「人生の道半ばで正道を踏みはずした私が 目をさました時は暗い森の中にいた」(平川祐弘訳)と始まります。 彼はまた、若き日の愛の詩集『新生』(VITA NOUVA)の第1行目に「ココニ新シキ生始マル」(同訳)と記した、そんなダンテでもありました。「新シキ生」は、やがて懐疑の森へと人を導きます。ダンテほどではないにしても、人はだれもが一度は存在の森を懐疑とともに歩きます。 大正期、内村鑑三と同時代に、警醒社書店から刊行された山川丙三郎訳の『神曲』の第3曲(歌)は、冒頭にこう記されています。「我を過ぐれば憂ひの都あり、我を過ぐれば永遠(とこしえ)の苦患(なやみ)あり、我を過ぐれば滅亡(ほろび)の民あり」。その「地獄の門」の銘文には、「われ永遠(とこしえ)に立つ、汝等こゝに入る者一切の望みを棄てよ」と掲げられています。旧約のヨブも、伝道者コーヘレスも、風前の籾殻(もみがら)のような命を前に、ひとたびは「憂ひの都」を「永遠(とこしえ)の苦患(なやみ)」とともに生きたのです。 最初に、私の個人史的な序曲から講演を始めさせていただきます。私は20代の始め、誰もが通る、人生の入り口に立ち塞がる生きることのむなしさのなかで、やがて「復活のイエス」と出会い、「回心」を体験する、プロテスタントの作家・椎名麟三の洗礼以前の小説で、数カ月後の死を宣告された青年労働者に訪れた鮮烈な自由を描いた『永遠なる序章』と、神学者・滝沢克己が、西方の人イエスの生涯に惹かれて「私のクリスト」を描いた芥川を論じた『芥川龍之介の思想』とほぼ同時期に出会いました。 滝沢は、そこに次のように書いていました。 人はみなその心の奥に、ほんとうに生きる張りあいのある人生、歓びに満ちた生命へのあこがれ を秘めている。そのために確かな支えを欲して、人を愛し、物を求めつつある。人の悩みはただ、 人の世のいかなる愛、いかなる富も、かれが最初そう信じたようににはかれの心の奥底の望みを満 たしてはくれない、他とのいかなる結びつきも、ほんとうに確かな支えとはなりえない。なりうる と思うのは全くの錯覚、知らず識らずの自己欺瞞にすぎない、という一事にあるのだ。(15頁) この言葉は、私にとって大きな謎でした。以後、私は椎名麟三の「復活のイエス」との出会いという「回心の瞬間」に私の批評の光をあてること、そこに自分自身の生きる意味を見いだそうと、滝沢神学と椎名文学と一人向き合う日々がつづきました。それは約20年かけて、第一評論集『椎名麟三論 回心の瞬間』(菁柿堂、1992年)として出版することができました。 それからは戦後文学、キリスト教文学、文芸批評など、何冊かの評論集を書いてきました。ところが、10数年前の2011年、ちょうど東日本大震災と原発事故が重なった未曽有の災害のあと、私は50代後半を迎えていました。 私は「3.11」の2カ月後、石巻、女川(おながわ)などの被災地を訪れる機会がありました。狂暴な破壊の跡、瓦礫の山、混じり合った臭気、また石巻港の高台から見た、きらめく青い美しい海……。 ちょうどそのあとぐらいから、私にはある懐疑の感情が切実に膨(ふく)らんでいきました。あの2万人近い津波の死者たちは、愛する人と家族、友人と一言の別れを告げることもなく、一瞬にして津波の濁流とともに、この世を去ったのだ、と想いました。もう、二度と死者たちは会うことができない、未来社会への希望は、いったいどこにあるのだろうか。人の一生は、やはり死の前では永遠なる序章ではないか。私はこれまでにない深い懐疑に囚われ、私が見るこの世界はしだいに死の影に蔽われていきました。生命の夕暮れ時のように見えました。 2 内村鑑三との出会い――懐疑の森から再臨信仰へ その頃に知り合った無教会信仰の教育学者・安彦忠彦先生を通して、私は内村鑑三と無教会信仰、その究極にある再臨信仰と出会ったのです。初めて本格的に、実験的に内村鑑三と向き合いました。その内村の霊的な言葉は、神の言(ことば)の宇宙の片々を映すかのように、私の眼の前に広がり、乾いた地に水が滲み込むように、私の存在の奥深くまで届いたのです。内村は、私にこう語りかけたのです。 宗教の本領は来世である。(略)イエスの福音、パウロの福音、ペテロの福音、ヨハネの福音は 皆な明らかに来世とこれを譲受(ゆずりうく)くるの道を示す、……(「来世獲得の必要」『内村鑑三全集』第20 巻、89頁) 永生に終わらざる人生は実に享(う)くるの価値(ねうち)なきものである。(「人生」、同前、172頁) 神は生命である。彼は又光である。而(しか)して同時に生命であり又光であるが故に彼は愛である。 (「生命と光と愛」、同前、248頁) 再臨あり復活ありて始めて個人の永遠の生命あり愛する者との再会あり宇宙万物の救拯(すくい)がある、… (「パウロの復活論」、第24巻、581頁) 再臨は万物完成の時である。(「基督再臨の二方向」、第25巻、496頁) 懐疑の森に、一条(ひとすじ)の光が射し込み、その言葉は、生命の芯が新たないのちの水を吸い上げるようにして、私自身の存在の懐疑の塊(かたまり)を溶かしていったのです。その奥には、生命の水の河の底辺(そこべ)には「再臨」があり、それを象徴的に映す「臨(きた)りつつあるイエス」の存在がありました。私は文学を、文芸批評を傍らに置き、ひたすら内村と向き合う日々がつづきました。「再臨」を希望に、「再臨信仰」に生きることができれば、この世界は、「憂ひの都」と「永遠(とこしえ)の苦患(なやみ)」は、まったく新しい地に変わるのではないか。未来社会への希望が、人の救済がそこにあるのではないか、そう思いました。 その4年後、新たに直面した人生の懐疑の森の道半ば過ぎで、その希望の道標として内村の思想的・信仰的評伝『内村鑑三――私は一基督者である』(御茶の水書房、2016年)を書き、無教会信仰を自覚的に望むようになりました。 次に、内村の厖大な聖書講解を、旧約「創世記」から新約「黙示録」まで66書を内村とともにたどろうと、『内村鑑三の聖書講解――神の言(ことば)のコスモスと再臨信仰』(教文館、2020年)を書きました。そこには旧約の預言者、ユダヤを生きた無数の人たちが、新約の福音書や数々の書簡のなかのキリスト教信仰者が、名もない歴史の一粒、大河の一(ひと)滴(しずく)のような、信仰に生きる人々がいたのです。それは楽園喪失から楽園回復の物語にして、再臨信仰が底流する生命の再臨宇宙なのです。 本年3月、これまでの2冊に加え、『内村鑑三 再臨の風景――生命(いのち)の水の河と臨(きた)りつつあるイエス』(九州大学出版会)を出版いたしました。それは内村鑑三の再臨・再臨信仰を見つめ論じた、私自身にとってはささやかながらも、内村研究の「集大成」、「3部作」の完結篇となる著書です。 私には、今も、あの「3.11」の2カ月後の5月に訪れた石巻、女川で見た、懐疑も希望も呑み尽したような荒れ狂った大地震後の街の風景と、石巻の高台からみた、余りにも静かな海のきらめきの風景が忘れられません。それが同じ海なのです。一瞬にして、愛する人と別れた2万人もの津波の死者は、二度と会うことができないのでしょうか。その人たちにとって、救済はあるのでしょうか。それはその10年後、ウクライナで、その懐疑とともに、旧約以来の乳と蜜の流れる約束のユダヤの地パレスチナ(カナン)での、多くの無辜(むこ)の子どもたち、受難の市民の死者たちとして、私たちの目の前にあるのです。 私たちが迎えたこの戦争の新世紀は、「あなたはどこにいるのか」(「創世記」3:9)という神の愛と嘆きの呼び声とともに、この破局の、終末の風景のなかにあるのです。その呼び声にどう答えたらいいのでしょうか。そこに「真理の道――破局のなかの希望」を、私たちの脚下に、ともに見つめ直すことが求められているのです。 私にとってそれは、「破局と救済――再臨の風景」なのです。 3 闇から光へ――黄金時代の夢と愛の物語 これから私たちの目の前に広がる分断と破局の現実とともに、そのディストピアの風景と、そこからの希望の可能性を、天然宇宙も含む、自由の顕在する「再臨の風景」=「希望の風景」として考えてみたいと思います。この破局によるディストピアの風景は、どこまでも人間の責任です。罪と悪は、人の問題です。 2023年12月6日に、イエスラエル軍の空爆で亡くなった、44歳のガザの詩人リフアト・アライール(Refaat Alareer)は、「If I must die」という詩を遺しています。 ![]() もし、私が死ななければならないなら あなたは生き続けなければならない 私の物語を語り継ぐために 私のものを売るために 一切れの布と数本の糸を買うために(白く長い尾のあるものを) そうすれば、ガザのどこかにいる子どもが 天を見つめるなかで 炎に焼かれて去った父を待ちながら―― 誰にも別れの言葉を告げないまま
肉体にも自分自身にさえも―― あなたが作ってくれたその凧が あなたが作ってくれたその私の凧が 空高く舞い上がり ほんの一瞬、天使がそこに現れて 愛を取り戻してくれるから もし私が死ななければならないなら それが希望をもたらすものでありますように それが語り継がれる物語になりますように(インターネットサイト「At Sea Day」) モーセが見ることのできなかった、ユダヤ以来の約束の地は、たとえ停戦への危うい一歩が踏み出されたとしても、ウクライナ同様に、いまだ世界の分断を示す、もっとも悲惨な戦争の最中にあり、7万人近い死者の現実があります。まして国連は、イスラエルのこの戦争をジェノサイドと認定したのです。歴史の最大の暗黒として、ユダヤ人へのジェノサイドに苦しんだ民族が新たなジェノサイドを繰り返しているのです。 2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻の6カ月後、ウクライナ東部ハリキウ州イジュームでは、ロシア軍による集団墓地が発見されました。松林の陰には、粗末な木の十字架に、番号だけが記された、名前もない440人もの虐殺された、子どもを含む死者が埋められていました。(『朝日新聞』2022年9月25日)。ここにも戦争と暴力が蔽うディストピアの風景が、破局の現代史が死者の数とともに日々刻まれているのです。 人の命は、旧約の風の前の籾殻のように、吹き散らされています。あるいは、大鎌で無数の命が刈り取られています。 一方、日本は今年で敗戦後80年を迎えました。その80年前の日本――。長崎の原子野で、原爆で焼け焦げた樹に小さな樹滴が光る光景を、作家・後藤みな子は『樹滴』という小説に描きました。その原子野の廃墟の焼け焦げた木からは、命と死の「樹滴」が流れでていました。それは復員した父が見た光景ですが、こう表現されています。「希望の樹滴は終末の樹滴であった」、断末魔の樹滴は、いのちの樹滴であった、と。 日本の植民地支配が影を落とす韓国現代史のなかで、戦争と暴力の隠された歴史を象徴する、一九四八年に起こった済州(チェジュ)島(ド)「4.3事件」があります。そのとき、朝鮮半島の南半分だけの「単独選挙」に反対して武装蜂起した済州島の島民の25000人から30000人が虐殺の犠牲になったと推測されています。2024年にアジア初の女性作家・詩人としてノーベル文学賞を受賞した韓国のハン・ガンは、それを『別れを告げない』という記憶と愛の物語として描きました。また、ハン・ガンには、1980年の光州(クァンジュ)民主化運動を描いた『少年が来る』という作品があります。光州事件で殺された15歳の少年トンホは、30年の歳月を虐殺の悲しみとともに生きる母に、子どもの頃の記憶のなかで甦り、こう語ったのです。 母ちゃん、あっちに行こうよ、せっかくだもん、日が当たってるとこに。仕方なく母ちゃんは、ず っとおまえの手に引っ張られて歩いたんだよ。母ちゃーん、あそこの明るいとこにはお花もたくさ ん咲いてるよ。なんで暗いとこに行くの、あっちに行こうよ、お花が咲いている方へ。 (井手俊作訳、241頁) 人も人類も、社会も世界も、すべてが暗い方へ、破局の方へ、ディストピアの方へと向かっていないでしょうか。原子野に佇む一本の木の流す樹滴や、15歳で殺された少年トンホのように、破局から希望へ、闇から光への転換が求められているのです。それこそは、新しい愛の、希望の物語なのです。 懐疑の森の闇から光への転換、悔い改めの問題を考えるとき、私にはドストエフスキーの長篇『悪霊』の主人公でニヒリストの若きスタヴローギンが、ある旅先でみた黄金時代の夢が思い浮かびます。『悪霊』は、プーシキンの詩とともに、「ルカによる福音書」第8章32-37節がエピグラフとして掲げられています。イエスはユダヤの町々村々をめぐり、悪霊に憑りつかれた人たちを癒します。ある日、イエスはガリラヤ湖の対岸、ゲラサ人の地に、突風と荒波を鎮めて舟で渡ります。そこで多くの悪霊(あくれい)の住処(すみか)となったレギオンと出会います。悪霊たちは、山に草を食む豚に入ることをイエスに請うのです――。「ここに多くの豚のむれ山に草をはみいたりしが……悪鬼その人より出でて豚に入りしかば、そのむれ激しく馳せくだり、崖より湖に落ちて溺る……」(米川正夫訳)と。 これは『悪霊』のテーマそのものでもあるのです。 主人公のスタヴローギンは、子どもを愛し、自らを神とするために悲惨なピストル自殺を決行するキリーロフや、権力と社会主義をめざすピョートル、民族的心情に生きるシャートフなどの登場人物に大きな思想的影響をあたえた人物です。彼は最後に、悪霊の住処としての自己存在を、罪を、丈夫な絹の紐に石鹸を塗るという完璧な自殺によって、そこに巣喰う悪霊を亡ぼすのです。 ある春の日、スタヴローギンはドイツを列車で通過中に乗換駅を通り過ぎてしまい、小さな田舎町の旅館で次の列車を待つことになります。午後4時頃、寝入ってしまった彼は、ドレスデンの画廊で見たクロード・ローレン「アシスとガラテヤ」の夢を見ます。その画をいつも彼は、「黄金時代」と呼んでいました。まさに楽園です。「スタヴローギンの告白」のなかに、彼はその夢をこう描写しています。 それはギリシャ多島海の一角で、愛撫するような青い波、大小の島々、岩、花咲き満ちた岸辺、 魔法のパノラマに似た遠方(おちかた)、呼び招くような落日……ここで欧州の人類は、自分の揺籃を記憶に刻 みつけたのである。……これは人類のすばらしい夢であり、偉大な迷いである! 黄金時代、―― これこそかつてこの地上に存在した空想のなかで、最も荒唐無稽なものであるけれど、全人類はそ のために生涯、全精力を捧げつくし、そのためにすべてを犠牲にした。…… (『ドストエーフスキイ全集』9巻、465頁) このスタヴローギンが見た夢を彩る波、島、岩、花の光景、美しい人々、子どもたち、森、愛……黙示録のような光の乱反射は、彼の陰惨な内部の闇を照らしだすのです。 ドストエフスキー文学におけるニヒリストの原型ともいえる『悪霊』のスタヴローギンは、『罪と罰』のスヴィドリガイロフ、『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフ、イヴァンなど、信仰の対極となる、虚無の海を漂う登場人物たちと連なる、悪魔の跳梁するニヒリストの系譜なのです。 『罪と罰』には、主人公の思想的人間ラスコーリニコフに対して、情慾的ニヒリストのスヴィドリガイロフがいます。物語は19世紀半ば、ペテルブルグ7月の熱い夏、ネヴァ川、センナヤ広場、流刑地シベリヤなどを舞台に、殺人、自殺、事故死など、いくつもの黙示的な死が交錯して狂気のように展開します。それは罪と罰が混淆した渦のような、救済の風景とは対照的な終末的光景なのです。 第4編で、ラスコーリニコフとスヴィドリガイロフの対話の中で、スヴィドリガイロフはこう語ります。 「われわれはげんに、いつも永遠なるものを不可解な観念として、何か大きなもののように想像し ています! ……すべてそういったようなものの代りに、田舎の湯殿(ゆどの)みたいな、すすけた小っぽけ な部屋があって、そのすみずみにくもが巣を張っている、そして、これがすなわち永遠だと、こう 想像してごらんなさい。」 (『全集』第6巻、281頁) スヴィドリガイロフにとって、永遠とは、蜘蛛の巣の張った田舎の小さな湯殿のように虚しいものなのです。さらに、スヴィドリガイロフはつづけます。「え、わたしがいったのはほんとうじゃありませんか、われわれは一つの森の獣だって?」と。理想のために殺人を行うラスコーリニコフも、「わたしは淫蕩無為(むい)の人間です」というスヴィドリガイロフも、ともに黙示的時代の暗い森に生きる、孤独な「獣」ではないでしょうか。 何と、この森の「獣」とは、ダンテの『神曲』地獄篇26歌の言葉でもあるのです。そこには、地獄の豪(ほり)を背景に、こう書かれています。「汝等は獣のごとく生くるために造られしものにあらず、徳と知識を求めんためなり」(山川丙三郎訳)。 ある夜、スヴィドリガイロフは次々と料理屋や宿屋を歩き回ります。10時頃、空に黒雲が広がり、雷鳴がし、ペテルブルグの街に滝のような雨が降り注いでいます。夜明けの五時近くに、スヴィドリガイロフはポケットのなかのピストルの雷管を直して、手帳に二、三行書きつけて往来へと向かい、濃い霧がたちこめる、小ネヴァ川の方へ歩きだすと、門番のいる邸宅の前に立ちます。そこで彼は自らに向かってピストルの引き金をひいたのです。 『罪と罰』のエピローグには、シベリヤでの「新しい物語」「愛と更生の物語」のはじまりが告げられています。ここにキリストとともにあるドストエフスキーの文学の「救済の風景」が広がっているのです。その場面は、こう描かれています。遠くから人々の歌声が聞こえ、草原には遊牧民のテントが点々と見えます――。 ラスコーリニコフは小屋から河岸っぷちへ行って、小屋のそばに積んである丸太に腰をおろし、 荒涼(こうりょう)とした広い大河をながめ始めた。(略)遠い向こうのほうから、かすかな歌声がつたわってきた。 そこには、日光のみなぎった目もとどかぬ草原の上に、遊牧民のテントが、ようやくそれと見わけられるほどの 点をなして、ぽつぽつと黒く見えていた。そこには自由があった。(略)そこは、時そのものまでが歩みを止めて、 さながら、アブラハムとその牧群(ぼくぐん)の時代が、まだ過ぎ去っていないかのようであった。(『全集』第6巻、542頁) 旧約アブラハムの時代から新約のイエスまで、ユダヤから発した福音と生命の大河は流れつづけています。それはエデンの園の一本の名づけられていない河をみなもととし、旧約・新約を途絶えることのない地下水脈をなして、最後の黙示録の新しい天地、都の大路へと流れつく生命の水の河なのです。すべての人は、その救済の風景のなかにあるのです。それはインマヌエル――神われらとともに在り――の原事実、真理(言(ことば))なのです。 ディストピアの風景は、希望の風景へ、インマヌエルの風景へ、闇から光へと変わらなければならないのです。そこに内村鑑三の再臨信仰のもつ宗教実存的な希望があるのです。過去・現在から未来へと、永遠の「とき」を「臨りつつあるイエス」は、万人救済という真理への道を象徴的に顕(あら)わしています。その道には再臨の風景が広がり、生命の水の河が流れ、そのせせらぎの水音が響きます。 その福音と救済の中心には、滝沢克己の神学・宗教哲学の核心である、人間の自由の原点であるインマヌエルの原事実が生きているのです。そのインマヌエルの原事実――バルトは、「イエス・キリスト」と端的に呼びました――は、内村鑑三の「再臨のキリスト」と相通ずるのです。 4 破局と救済――分断とディストピアの風景のなかで 「破局と希望」の問題を考えるとき、私はトルストイ82歳のときのガンディー宛の最後の手紙を想い起します。トルストイは、ヤースナヤ・ポリャーナで伯爵家の4男として生まれます。若き日の放蕩三昧の生活、クリミヤ戦争の戦場体験、領地の農婦への愛欲、農奴解放令など、19世紀の激変の時代を背景に、『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』などで作家としての名声を得ます。 反面、家庭内不和とともに50歳を前に精神的危機――懐疑の森へと分け入る――を迎え、『懺悔』などに描かれた人生への深い懐疑を経て、新たな精神的誕生により、死の代わりに光と遭遇した『イワン・イリッチの死』などの信仰的希望の文学へと至るのです。トルストイは、財産の罪悪視、著作権の放棄、飢饉救済活動、日露戦争批判、兵役拒否の思想等を実践し、その信仰は「民衆」へと向かい、正教会からは破門までされます。 1910年10月28日、妻への書き置きに、私はこれまでの贅沢三昧の境遇の中でこれ以上生きていくことはできない。だから私は同年輩の老人のように、最後の日々を孤独と静寂の中で過すために、俗世の生活から去る……と記して、寒い秋の日に家出をします。リャザン・ウラル線の小駅アスターポヴォで病に臥し、11月7日に寂しく世を去るのです。 死の1カ月前、82歳の9月7日、トルストイはガンディー宛に最後の手紙を書いています。手紙は「あなたの雑誌Indian Opinionを受け取りました」と始まり、こう記されています。 ――そこに書かれていた無抵抗主義の人々のことを知り、私の心に生まれた考えをあなたに聞いていただきたい。非暴力というのは、愛の法則にほかなりません。愛は人間生活の最高にして、唯一の法則です。愛の法則は、ひとたび抵抗という名の暴力が認められると無価値になり、権力という法則だけが存在します、と。当時ガンディーは、南アのトランスヴァールで、反英抵抗運動をつづけていました。 この戦争の新世紀に、数々の「破局」に対し、この「愛の法則」ほど求められているものがあるでしょうか。眼前には、そんな権力の法則とともに、世界の分断と社会のディストピアの風景は止めどなく広がりつづけています。日本も例外ではありません。いかに迂遠に見えようとも、ハン・ガンの愛の物語や、トルストイとガンディーの愛の思想に、内村の非戦論、戦争絶対廃止論に、その究極の再臨論に、滝沢のインマヌエルの神学に、私たちは眼を向けなければならないでしょう。 韓国のハン・ガンより10年近く前に、ノーベル文学賞を受賞したウクライナの作家スベトラーナ・アレクシエ―ビッチは、「未来の物語」という副題をもつ『チェルノブイリの祈り』(松本妙子訳、岩波書店、1998年)、『戦争は女の顔をしていない』(三浦みどり、群像社、2008年)など、戦争と暴力の記憶を、愛を光源に描きつづけています。 『チェルノブイリの祈り』は、「孤独な人間の声」(消防士の妻)からはじまり、同じ題名の事故処理作業員の妻の声で終わっています。この間に、「死者たちの大地」「万物の霊長」「悲しみをのりこえて」の三つの章があり、そこには30数名のチェルノブイリの声と、兵士たち、人々、子どもたちの「合唱」が入っています。ゴメリ州のベールィ・ベルク村に住む、強制疎開となった故郷の村に住みつづける人たち(サマショール)は、こう語っています。 ――毒があっても、放射能があっても、ここは私の故郷よ。私たちはよそじゃよけいもの。 鳥だって自分の巣が恋しいものですよ。(略) ――わしは死ぬのは恐ろしくない。二度生きるものはいない。木の葉も散る、木もたおれるんだ。 (『チェルノブイリの祈り』、51頁) また、チェルノブイリで死んだ消防士の妻は、最後にこう語りました。「でも……、私があなたにお話ししたのは愛について。私がどんなに愛していたか、お話ししたんです」と。 アレクシエ―ビッチには、500人以上の聞き取りをもとにした『戦争は女の顔をしていない』(三浦みどり訳、岩波現代文庫、2016年)があります。それは「祖国大戦争」と呼ばれた独ソ戦で前線行きを希望した、第二次世界大戦下の女性たち(少女たち)の「小さな声」が渦巻いて響いています。このとき、ウクライナもソ連としてともに、五人に一人が戦死したといわれるヒトラー・ドイツとの戦争に勝利し、「祖国ソビエト」を解放したのです。 アレクシエ―ビッチは、こう書いています。「道はただ一つ。人間を愛すること。愛をもって理解しようとすること」。『戦争は女の顔をしていない』は、人間原子炉となった消防士を最後まで側で愛した妻のように、ただそのことだけを伝えようとしているのです。後に生まれる人たちへ……と。『チェルノブイリの祈り』『戦争は女の顔をしていない』などは、この分断・ディストピアの時代の大声に対して、「ユートピアの声」と呼ばれているのです。 ハン・ガンは、ノーベル賞受賞前のインタビューで、『別れを告げない』について、こう語りました。 人間による虐殺の後には、必ず粘り強く哀悼する人々が生まれます。記憶し、闘争し、最後まで 別れを拒否する、『別れを告げない』人々です。人間のたゆみない愛が、どのように人と人とをつ なげるのか、この小説を通して問いかけたかったのです。 (朝日デジタル、2024年5月28日) イスラエルの地上侵攻とともに破壊の極をきわめたガザ攻撃や、いまだ終りの見えないウクライナ戦争など、世界各地で厖大な人命が日々奪われています。分断、格差も深刻です。そのなかで文学にできることはという問いに、ハン・ガンは、こう答えています。「とても苦しい状況で、希望を見つけたいです」と。それは、まさにこの無教会全国集会のテーマである「破局の中の希望」ではないでしょうか。「破局の中の希望」とは、未来の、愛の物語を信じ、語り、証(あかし)することなのです。キリスト教信仰は、無教会信仰は、反ⅮEI(反多様性・平等性・包摂性)に揺れるこのディストピアの時代のなかで、「真理への道」のなかで、愛を生かすべく問われているのです。救済は、社会と人の正邪・善悪・罪を問う審(さば)きでもあるのです。 5 内村鑑三と滝沢克己――万人救済論と再臨の風景 講演のまとめとして、『内村鑑三 再臨の風景』のエッセンスの部分について最後に端的にふれたいと思います。 私にとって50年前、『芥川龍之介の思想』で出会った滝沢克己と、その30数年後の新たな懐疑の森のなかで知った内村鑑三――この二人のキリスト者は、その核心である「インマヌエル」(の原事実)と「再臨」(のキリスト)は、永遠の「今」(とき)を生きる希望と信仰の原水脈として、ともに未来社会へと流れています。 同時に、そこには現在的終末(救済)論と未来的終末(救済)論が重なり合いつつ、過去・現在・未来をつらぬく万民救済の風景=インマヌエルの風景、生命の水の河の辺の光景が広がっているのです。ここには、二重の救済的・終末論的時間が、相互の矛盾的時制(テンス)となって、一方は過去へ、一方は未来へと流れているのです。それは、太初の言(ことば)は終末(おわり)の言でもあるのです。 内村は、「基督再臨の二方向」(『聖書之研究』1920年6月、『全集』第25巻)のなかで、再臨は「外よりする再臨」(外的再臨)と「信者の心霊内に築かるゝ」「内的再臨」、この二方向があるとし、こう語ります。「外なる再臨観は内なる再臨の実験を加へて再臨は最も深く且健全に味はるゝのである」と。「外的再臨」は未来的終末(救済)論にして、「内的再臨」は現在的終末(救済)論で、再臨信仰は、その二方向の交わる未来かつ現在的な希望なのです。そこに見えてくる希望の風景こそが、「再臨の風景」なのです。 私は、『内村鑑三 再臨の風景』を書き終えて、こう想います。――神の右に坐する「再臨のキリスト」=「Sache」(原事実)の「Zeichen」(象徴)こそ、「とき」をつらぬく、あるいは「とき」とともにある過去・現在・未来「完了進行形」としての「臨(きた)りつつあるイエス」ではないか。それは聖書のイエスとも重なり合います。さらに、「再臨」は、滝沢神学における「第一義のインマヌエル」であり、「再臨信仰」はその生起である「第二義のインマヌエル」と類比的(アナロジカル)にいうことができるでしょう。同時に、終末論は再臨論であり、終末(おわり)の時は太(は)初(じめ)の時でもあるのです。インマヌエルも再臨も、ともに人が罪から新生する絶対無条件の万人救済論である、と。 カール・バルトは、「教義学要綱」の第20講「審き主イエス・キリストの将来」のなかで、こういいます。「キリスト教の完了形(ペルフエクト)は、未完了形(イムペルフエクト)〔過去形〕とはちがう。否、正しく理解された完了形は、未来形の力を持っている」(『カール・バルト著作集』第10巻、井上良雄訳)と。私はそれを「完了進行形」と理解したいと思います。 イエスの受肉から十字架・復活・昇天までの「完了形」は、生命の水の河が流れつづけるように、「未来形の力」「未来社会への希望」をもっているのです。また、再臨信仰――臨りつつあるイエス――は、終末論を含む過去・現在・未来の歴史と天然宇宙を含む救済の完了進行形ではないでしょうか。 ここにダンテの若き日の詩集『新生』の「ココニ新シキ生ハ始マル」のではないでしょうか。 再臨論は終末論にして、内村にとって、それは贖罪信仰の完成としての万人救済論です。同時に、人は現在的終末論と未来的終末論のまぎれもなく、その交点に生きるのです。そこに宗教的実存があるのです。真理への道に立ち歩むことなのです。 滝沢克己は、敗戦直後の『哲学と神学の間』(上)に、いつも呼びかける神の子の声として、こう書いたのです。 「汝の罪ゆるされたり、起(た)ちて歩め」(2頁) 内村鑑三は、「イエス対ユダ」(『聖書之研究』1924年4月、『内村鑑三全集』第28巻)のなかに、イエスは神の子の権能をもってして何人(なんびと)も悔い改めに導かなかったといい、次のように記しています。 「悔改(くいあらため)は自分より起こらねばならぬ」(210頁) 「破局の中の希望」=「破局と救済」は、ここに尽きるのです。そこに見えてくのが「希望の風景」なのです。さらに、その「希望の風景」とは、ダンテの「ココニ新シキ生始マル」、そんな神の国の地上の国への愛の投影にして、「再臨の風景」=「インマヌエルの風景」なのです。ご清聴ありがとうございました。 ![]() |